2012年6月10日(日曜):聖体の祝日
イエスは言われました:「私の民よ、これまでの間、教会の近隣の通りを巡る聖体露出の行列という古い伝統があった。また、永遠の礼拝で私のかわいい聖体に敬意を表する長年の慣習もある。この「聖体」または「キリストの至聖なる肉と血」の祝日は、私のかわりみずから私があなたたちに与えた贈り物である私のかわいい聖体への祭典だ。私たちはミサの奉献においてパンとワインが変質して私の身体と血になるという信仰を持っている。このパンとワインの外観下での私の実在なる存在は、それを信じるためには信心の行為が必要である。もしあなたがホストの中に私があることを本当に信じているなら、もっと頻繁にお参りしてくれると思うだろう。いくつかの私の信者たちは毎日お参りすることで私が実在しているという彼らの愛と信仰を示そうとする。多くの人々が私の実在なる存在を信じないため、私はホストに実際の血液が現れるような私の聖体の奇跡を許した。これらの奇跡は私のかわいい聖体をセンセーショナル化するためではなく、すべての奉献されたホストの中におられる私が本当に存在していることを人々に示すためである。したがって、あなたが適切に聖体拝領を行うとき、あなたは私の魂へと私自身を受け入れることになる。ホストが消費されるまでの間、私はあなたたちのような私の存在の小さな神殿だ。ミサの奉献ごとにも私のタバナクルでも、私の天使たちは常にいるし、彼らは私の聖体を礼拝している。多くの人々は私にお願いするために祈るが、私のかわいい聖体への礼拝と崇敬も他の形式の祈りであって、私は宇宙の神としての栄光と名誉を与えることである。できるだけ頻繁にお参りして私を受け入れてくれるようにしよう、そして私の聖体の恩寵や私のタバナクルへお参りするための恩寵を得られるように。」
イエスは言われました:「私の民よ、十番目の駅にこの泣き木とわたしの十字架の木が結びついています。わたしはあなたたちに生命の樹について話しましたが、この樹は精神的な命を持ち、あなたたちにしるしを与えることになります。切られた木を見ると、それぞれの成長年数を示す輪があります。これらの輪の上には明るい光があることを見たでしょう。それは聖体の形をしていました。今日は聖体大祭を祝っていますが、これはわたしの聖別された聖体を見ることにふさわしいです。あなたたちにとってわたしはこの場所で聖餐的な存在であります。この視覚はまた、私の天使たちが毎日聖体拝領を行うことによって、私がすべての避難所を祝福することを思い出させるものでもあります。もしあなたたちにミサのための司祭がない場合ですらも。このようにして、あなたは大災厄の間、私のすべての避難所で永遠の礼拝を行うことができるでしょう。喜びなさい、わたしの忠実な民よ、わたしはあなたたちを守るために避難所とともにおられるからです。」