2012年3月4日(日曜):
イエスは言われました:「私の民よ、今日は山の頂上での喜びの経験について語られています。私は使徒たちに、彼らが私のために苦しむすべてのことへの希望を与えるために、私の栄光ある体の全貌を見せました。最終審判において、私の忠実な者たちはそれぞれの栄光ある体と共に結ばれるでしょう。天国であなた方の未来を見ていただければ、このことがあなた方を天国での賞賜のために今生で闘うように鼓舞するでしょう。第一の読みでは、私はアブラハムに対して彼の唯一の息子を私に捧げるかどうか試しました。彼はイサクを殺そうとしていましたが、私の使いがその手を止めました。そして私は、アブラハムが私をこれほど愛していることを知りました。彼は私が命じたすべてのことに従う用意があり、それが唯一の息子を殺すことであってもです。この場面は実際には私の人間全体への愛の類似物であります。なぜなら天の父がその独生子をすべての罪人のために捧げることを望まれたからです。あなた方が四旬節を通じて自分自身を浄めている間、あなたは私と共に私の十字架で苦しむことになります。そしてそれは私がカルバリーヒルでの死へと導かれるものであり、三日後に復活するまでの道です。私の変容は私の復活の予兆であり、私はあなた方がどれほど私を愛しているかを見せるためにあなた方のために死んだのです。また、私が唯一の犠牲として捧げられることで全人類からその罪を救うことを示しました。我ら聖三位一体への称賛と栄光を、私たちが愛によってすべての人に与えた贈り物のためにささげましょう。」
イエスは言われました:「私の民よ、第五の光明の神秘において、私はあなたがたに聖体と聖血へと変えられたパンを持っている姿を見せました。これは私が全人類のためにゴッドフライデーに死んだときの前兆でした。あなたは苦難の神秘を祈る際に、私の十字架上での苦しみとあなたがたの四旬節の断食を行うことで結びつけることができます。私は聖体におられる実在信仰は、私へのあなたがたの信仰の中心的な信条です。なぜなら私が常にあなたがたと共にいるからです。私の存在はあなたがたのタバーナクルにおいて意味することは、いつでも来て私を訪れ、私に栄光と礼拝を行うことができるということです。聖週の三日祭に参りますときには、私は使徒たちと共感し、彼らは私の傍らで立つことを恐れたほどでした。ただヨハネだけは十字架の下において私が彼を私のかわいがる母へ与え、彼女を彼へ与えた瞬間を見ました。その後、ヨハネはエフェソス、トルコにおられる私のかわりに母上を世話しました。四旬節ごとに感謝することで、あなたがたの霊的な生活を浄化できる時間があることを忘れないようにしてください。」